群羊町立平原牧場は1891年に設立されました。明治維新の原動力は目前に迫った欧米列強に対する危機感が起爆力となりました。明治政府が政権を担った後も、この流れは変わることなく鋭意継続されました。欧米列強に伍するための内国産業の育成と強化が行われました。
当地出身の内務官僚、菊池永友(旧水親藩士)により畜産および酪農面での産業強化が中央政府において提唱されたのは、まさにこの時代のただ中である1871年のことでありました。翌々年の1873年には、菊池を長とする畜産および酪農使節団がデンマークをはじめとする北欧各国に派遣されました。1878年に帰国した菊池は独自の理論形成につとめていきます。1885年に中央で突如勃発した「長栗坂の変」にはからずも連座した菊池は、国外追放の憂き目にあいますが、風雲急をつげる世界情勢を前に早くも翌1886年に帰国を許されています。この後、彼は平原牧場設立に向けて中央で奔走を続けることになります。そして、1891年に彼の努力の甲斐あって当時の群狼群群狼村に平原牧場が開設されるにいたりました。しかしながら、長年の身を顧みない無理がたたってか、菊池は前年の1890年に他界していたのでした。彼の死後に、当時の群狼村長をはじめとする志を同じくする人々の運動により、菊池が練りあげた計画は葬られることなく、日の目を見るに至ったのでした。
開設以来、100年以上を経過した今日でも菊池の努力を賞賛する声は消えることがありません。現在、群羊町(周辺町村を吸収合併して1901年に町制施行)では8月8日に「菊池祭り」が盛大に執り行われていますが、もちろんこの菊池は、地域の産業発展の契機になった菊池永友を偲んでのことであります。